何よりも嫌いな言葉。それは「嫁」。

 「うちの嫁」「嫁にもらった」もらったって何?夫の実家は昔で言う庄屋さんの家らしく、行くと色々とカルチャーショックを受けます。結婚した時は、姑がタオルを発注して、集落の中を「うちの嫁でございます。」と連れ回されました。中核都市の核家族サラリーマンの娘である私には、ある意味新鮮に映りました。

 法事を行うと、「嫁」なので当然にお茶くみをさせられます。私は雇われの給与所得者であるため、無償で大勢にお茶を淹れるのは抵抗があります。勤務時間中であれば、必要に迫られればしますが、お茶を淹れるのは総務担当の方がやってくださるので、担当外の私が行うことはまずありません。貴重な休みを使い、無償で労働を行う。嫌ですね、正直。最も嫌なのは、「こいつにタダでお茶くみさせて良いだろう。」と思われていること。要は女を下に見ているということです。
 自分の娘の夫には、嬉々としてお茶を淹れて行くんですよね~。男はお茶を飲む。女は淹れる、みたいな。「嫁」はうちの人間だと思っている証ですね。私はよその子になった覚えはありません。私を産んだのは母。学費や生活費を出してくれたのは父と母。それを「もらった」とは何事か。人身売買じゃあるまいし。

 娘を「嫁にやる」気は一切ありません。私の大事な娘ですから。お茶くみを当たり前のようにさせるなんて、とんでもない話。馬鹿にするにもほどがあります。女=お茶くみなんて、何時代?恐るべし、九州の田舎。
 私は大学卒業するまで、「女の子だから」みたいな教育を受けてませんでした。特に高校は、地元では男子⇒女子の順で出席番号を付けている高校が殆どだった時代に、女子⇒男子。当時の校長先生が、「今どきなんでも男が先なんておかしい。」と言って、変えたそうです。そこそこ進学校だったため、「将来はお嫁さん」なんて女性も一人も見たことがありませんでした。なので社会に出、結婚してなんでも男性優先なのを知って辟易しています。

 あまりにも嫌なので、料理はほぼ一切夫の実家じゃしません。お金出して外食しています。手伝いが必要な時は夫に行ってもらってます。だって彼の家だから。根深い問題ではありますが、自分を殺してまで相手に合わせることはしません。心から嫌だから、どんなに抵抗を受けても戦います。同じような悩みを持つ方、応援します。一緒に頑張りましょう。

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